私の住んでいる栃木県益子町は、伝統的なものや現代物においても、陶芸に関心のある方ならどなたでもご存じの場所です。東京の北、関東平野の端に位置し、広がる平野の遙か彼方には日光連山が眺められ、栃木県のシンボルである男体山が勇壮な姿を見せています。
この地域一帯では、有史以前から日常的に焼き物が作られ使われてきました。窯業は19世紀半ば頃、砂を含んだ粘土が発見されたことにより始まりました。このタイプの粘土は、すり鉢、急須、塩入れなどの家庭用の陶器類を作るのに適しており、それが益子焼きとして引き継がれ、今日では有名になりました。この地域には、窯焚きの燃料材に相応しい松の木が豊富にあり、また益子焼きの釉薬として一般的な茶色の柿釉の原料もありました。
1930年代の半ばに日本民芸運動が起こり、益子は陶芸分野の中心地となりました。これには陶芸家濱田庄司氏の力が大きく係わっています。濱田氏のカリスマ性により、多くの陶芸家が日本各地や海外からも、益子に集まり定着するようなりました.
1960年代後半になると、現代美術陶芸で知られる加守田章二氏もまた益子の作家としてよく知られるようになりました。それ以来この町は世界の陶芸家にとってより一層 魅力ある場所となりました。今日この地域には、900軒の窯元があるといわれています。
現在の益子は、人口25,000人、東京から2〜3時間で来られるようになりました。もう「田舎町」ではなく、ほんの少し都会色を帯びてきております。